こんにちは。
母ひさこです。
今回は、ひさこのごく親しい知人のお子さんが不登校になった話。
不登校になったお子さんとその親にしか分からない3年の体験談をお話しします。
今不登校で毎日つらい思いをしているお子さんとママさんパパさんにとってヒントになればと思い、ご本人の希望で取材をさせて頂いたのちブログ記事にさせていただきました。
※お母さんの言葉をなるべく忠実に書かせていただいております。
不登校になる前の子供
息子は正義感が強く、規則や守りごとを大切にし、ほとんど学校で先生に怒られたことのない子でした。(自慢ではなく、環境によっては真っすぐな性格が苦しくなることがあることをお伝えしたくて書きました)
喧嘩が起きれば真っ先に止めにはいったり、先生に何か頼まれたらきちんとやりとげるようないわゆる優等生タイプだったと思います。
学校が終わったら公園で鬼ごっこしたり、ボール遊びしたり、家で数名のお友達とゲームで遊んだり、親しい友達からはとても慕われていました。
親として情けないことに、精一杯学校生活をこなしていた息子に対し、帰宅後も塾や習い事を複数させていました。
当時は学校で必死に戦って帰ってきてからも塾という別の戦場に向かうような生活でした。
息子がするといったから…を理由に、週に3~4つの習い事をしながら学校生活もこなしていたので、何もなければ不登校には至らないのかもしれませんが、何か起きたら途端にパンクする状態だったと思います。
その上、日頃から良くしようね!勉強や授業何でもチャレンジ!頑張ろうね!先生の言うことをちゃんと聞くのよ!などといった先回りしたもっともな言葉で息子をじわじわと追い詰めてしまっていました。
学校は戦場だった
実際、息子にとっての小学校6年間は戦場でした。
初めての授業参観から強烈でした。
2~3人の生徒が教室中を立ち回り、他生徒にちょっかいをかけるたびに先生が授業をストップし、必死に叱り続けながら時間が過ぎていました。
入学直後だったこともあり、そのうち落ち着いていくかな?と心配ながらも前向きに考えた記憶があります。
その後も、教室内での争いや喧嘩、陰湿な出来事などが絶えない学校でした。
常にクラスでは問題が発生
問題が発生する度に先生が授業時間をつぶしてクラス全体に対して叱り続けることも多々ありました。
誰の話も素直に受け止める息子にとって、頻繁にある先生の叱責のような時間は苦痛でした。
次第に息子は自分が怒られているかのような感覚にとらわれるようになりました。
当時の息子にとっての学校=気の抜けない場所=常に緊張感のある場所でした。
緊張の糸をピンと張り巡らしながら過ごす学校生活が、少しずつ息子のパワーを奪っていきました。
争いごとを起こさせないように…
先生にクラスが怒られないように…
学級委員だったこともあり、先生から学級委員がちゃんとしなさい!とその度に言われてました。
息子が通っていた学校では、名札ピンを相手の目の前に向けながら傷つけようと追い掛け回す子がいたり、貸した一万円返して欲しいと代理で徴収に家まで押しかけてくる子がいたり(実際、借りていなかった)、ゲーム機やソフトを家に侵入して盗む子がいたり、他の子が書いたいじめのアンケートを教室のゴミ箱に捨てる子がいたり、替え歌を作って歌われたり、後ろから足蹴りされたり消しゴムを隠されたり。
(学年で問題が起きるたびに息子から話を聞いていたので先生に相談をしたこともあります)
低学年の時から机と机の間の通路を歩けば足をひっかけられ、何の理由もなしに仲間外れは当たり前、そんな文化が学年中にまかり通っているような学校でした。
実際、先生たちは常にピリピリした状態で、決して学年や教室の雰囲気はよくありませんでした。
それでも何とか乗り越えてこれたのは、息子にも沢山の友達が傍にいたからです。
高学年になると更に悪化
ところが高学年になったとき、追い打ちをかけるように学年の数名の子に息子のメガネや服装などいじられるようになりました。
当時のクラス内には息子がプライベートで仲良くしているお友達はおらず、別のクラスに分散していました。
つまり教室に味方のいない状態でした。
先生からの理不尽な叱責
そしてある日、唯一の味方と思っていた先生から理不尽な叱責をクラスの面前で浴びたのをきっかけに不登校となりました。
その日も喧嘩が起きていたため、パワーを振り絞って仲裁に入った息子は、体が一部あたったことを先生に指摘され、止めに入ったにもかかわらず「怪我でもさせたらどうするの!」と一方的に怒られました。
手をあげたこともなければ、言葉の暴力をふるいかざしたこともなかった息子にとって、先生からの叱責は残り僅かなパワーを奪い去るほどの衝撃でした。反論する間もなくその場を強制的におさめられ終わったのです。
学校から泣きながら帰ってきた息子の顔は今でも忘れられません。
最後の砦を失った表情でした。
学校との話し合い
不登校になった直後、私は「学校に問題がある」とだけ思っていました。
なので、学校の問題が解決すれば=学校に行けると信じていました。
担任の先生から叱責された直後から、先生の目を見るのも怖くなってしまっていたため、学年主任や他の先生を交えて話し合ったこともありました。
息子の精神状態が良くないことや、先生や生徒に不安や恐怖を感じている点などを伝えたのですが、叱責した先生にも考えがあったのか、最後まで折り合いがつきませんでした。
まずは息子に寄り添って欲しい…とお願いしたのですが、上手くいきませんでした。
なんとなくですが、学校に行けなくなったきっかけよりも、学校に行っていない息子の状態を問題視されたように思います。
ほとんど叱られたことがなく、友達とトラブルを起こしたこともなく、先生から頼りにされていた息子は、一瞬にして、学校に来ていない子として扱われているように感じました。
卒業式での校長先生からの言葉
熱心な主任の先生の「最後の日は学校行こう!来ないと後悔すると思うから!」の説得に応じ、卒業式ではなく、終了後の個別卒業式に参加しました。
それが息子の精一杯の行動でした。
痩せて色白くなった状態で、必死にパワーを振り絞って再び卒業式という戦場に向かいました。
息子1人でひっそりと練習していたのか、名前を呼ばれると、緊張しながらもお腹の底からの全力の大きな返事を皮切りに、授与の礼と儀式を行えました。
ところが、卒業証書を受け取る瞬間、校長先生から「後悔していますか?」と息子に問い正すような一言。
傍にいた私は一瞬耳を疑いました。
え、なぜ?
え、何を後悔?
ざっくり「後悔していますか?」と意味深な言葉にただ思考停止したのを今でも覚えています。
校長先生からすると、不登校に至った経緯よりも、学校に来ていないこと=未熟、自立していない。だから、後悔に気付き自立をしなさいという考えだったのでしょう。
最後の最後の日に「学校に来れませんでしたね。」と刻印を押されたのです。
この時、今まで息子がお友達や先生に頼られて頑張ってきた数年間や、不登校になっても息子は前向きに立ち向かっていたこと、それを家庭訪問に来た先生に一生懸命伝えていたことなど全く届いていなかったのだと思いました。
どんなに思いを巡らせても、学校側の頂点にいる先生の固定概念からくる共感のない一言として受け取ることしか出来ませんでした。
あえて後悔という言葉を使うなら、そんな学校の卒業式に半ば強引に息子を連れて出席してしまったこと…だったのかもしれません。
その後、3年間不登校は続きました。
家も安全基地ではなかった
振り返ると私(母親)に沢山の原因がありました。
※不登校は原因は一つではなく、原因を探ること自体良くないことはわかっています。が、それでもどこに原因があるのか?探さずにはいられませんでした。
- 幼少時から先回りして正しいことを教え過ぎてしまった。
- いつも頑張っているのにもっと頑張らせてしまった。
- 親の私自身が完璧主義だった。
- 学校にいけなくなったときに、行かなくていいよと言えなかった。
- 行渋りや身体症状(腹痛、頭痛など)が出た時点ですぐに休もうと言えなかった。
- 結果、最後の力尽きるまで頑張って学校に行かせてしまった。←長期化した原因
- その時の息子にとって一番良い方法を一緒に考えられなかった。
- 不登校になった後の息子を信じられなかった。
- 1つの常識でしか物事を考えられなかった。
挙げればきりがないぐらい親として、特に不登校の子どもの親として失格でした。
息子の苦しみを全力で受け止め、寄り添い、柔軟に、常識にとらわれず、信じてサポーターとして傍にいられたら…息子は二重の苦しみを味わずに復帰できていたかもしれません。
不登校のお子さんにとって、学校と戦い続けようやく不登校を選んだとしても、その後に親や家族との戦いが待っています。その戦いに時間とパワーを使えば使うほど、パワーを貯めて、自分を見つめなおして、再び歩み始めるという大事な時間は遠ざかっていくのだと後でわかりました。
不登校3年間の体験談
息子にとって3年間は必要でした。
むしろ、3年間家にいたからこそ今があると思っています。
そして、不登校には主に3つの段階があったと思います。
不登校初期
不登校になった直後~半年ぐらい。
我が家の場合、病院には行きませんでしたが恐らく鬱状態だったと思います。
ベッドの上でyoutubeやアニメをひたすら見るので精いっぱい。
笑えず、食事の量も減って、会話もしない、眠れない状態でした。
恐らく、不登校になった自分がどういう状況かもわからず、その日その日を過ごすのに精いっぱい。横になってはいるものの恐怖や不安で全く休めない時間が続きます。
顔色も悪く表情の暗い別人のような息子を見ていると「生きているだけでよかった」と思う日が続きました。
不登校中期
不登校から半年~2年目、学校から自分を遠ざけ、昼夜逆転になりました。
自分が不登校であることを少しずつ受け止められるようになった時期。
今の自分は絶対に学校に行ける状態ではなく、むしろ休養が必要だと気づき、力を貯めて行けるようになるために今は学校に行かないと息子は決めました。(戦略的不登校だという考えを持てた)
ようやく家で笑顔を取り戻し始めたのですが、その笑顔に油断した私は、今までのような感覚で息子に「べきだ」を再び繰り返したのです。
その度に親子間の衝突があり、息子のパワーを消耗させてしまいました。
互いに歩み寄ったり反発したりを繰り返すたびに、息子の状態も良くなっては悪くなってを繰り返していました。
昼夜逆転になった理由は、学校に行くみんなが寝た頃に自分が活動をし、皆が学校に行っている間に寝る=罪悪感が減るからでした。
精神的に楽になることで考える余裕が生まれたり、休養できるようになります。
私の変化として大きかったのは、昼夜逆転を認めると覚悟し「昼夜逆転してもいいよ」と伝えられたことでした。
ただ、ずっと昼夜逆転をし続けることは体にも心にも良くないし心配だからそのうち戻していこうということは言い続けました。
私が息子の行動を心の底から理解しようとし出してから、息子も私に心を開き、前向きになった気がします。最初から常識を後回しにして、息子の言葉を受け止められていたらもっと早かったと思います。
※表面的に理解したふりをしても、不登校のお子さんは親の言葉尻や表情などを伺っているので気づきます。
この頃まで、学校で起きたことが悪夢として出たり、学校が怖いと言っていました。
相当な不安と緊張を長年持ち続けていたのだとわかりました。
不登校後期
不登校から2、3年目。少しずつ体を動かし始めました。
学校には行けないものの、学校以外のことならやってみたいと思えるようになりました。
仲の良い友達と夜の公園で軽い運動したり、夜のウォーキングに行ったりを日課にしました。
夜に活動する理由は、人と会わない分精神的に楽だからです。
それまでほとんど家の中、ベッドで寝ていたので、起き上がると立ち眩みや動機がするようになっていました。
いわゆる「起立性調節障害」でした。
体力がついてくると立ち上がって気持ち悪くなることが少しずつ減りました。
体が動くようになると気持ちも前向きになりました。
できることが増えると自信がつくような感じでした。
やがて、やらなければいけないことに目が向くようになり、少しずつやろうとし始めました。
未だまだパワー不足だったため、再び休養することも繰り返しました。
親である私も焦らず焦らせずが出来ればよかったのですが、もっともっとと要求するような言葉をかけてしまっていました。
幸いにも息子は自分のペースを貫き、約1年後、息子が心に決めていた高校進学のタイミングで復帰しました。
母親である私について
私のことを少しお話しさせてください。
私は小さい頃から「こうでなければいけない」「~べきだ」と思いながら大人になりました。学校でも社会でも、目標に向かって努力すべきだし、進むべきだし、その道をそれたらそれは失敗だし、負けだといったようなところがありました。
それは、自分で決めた目標を達成するための手段でした。
不幸にも、子どもを持つまでは、その考え方のおかげで上手くいっていたようなところがありました。
しかし、子育ては別でした。
自分の「べきだ」という考え方をいつの間にか子供に対してしていました。
アドバイスだけなら良かったのですが、気が付けば押し付けていました。
子どもが飲み込める時ならまだしも、飲み込めない状況下でも押し付けてしまいました。
もっと早く自分の考えを押し付けていることに気付き、それに苦しんでいる子供に気付き、解放してあげていたら…
きっと、学校での出来事も乗り越えられるだけのパワーを保てていたと思います。
息子が不登校になって初めて自分の価値観が人を傷つけていたことに気付かされました。
「べきだ」と考えると、そうならなかった時に反省ばかりします。私の場合、それが子どもにも影響を与えていました。良かったことより悪かったことに注力してしまい、マイナスな声掛けの方が増えていました。結果、子どもの自己肯定感が育つチャンスを失い、自信を失わせてしまったこともあるかと反省しています。親の考え方や声掛けひとつで子どもの感じ方も違うことを痛感しています。
不登校は母親が原因について
不登校は母親が原因という言葉や書籍を見るたびに心を痛めているお母さんは沢山いるかと思います。
私もその一人です。
ゆえに、母親である私が「母親が原因ではない」と言えないのが現状です。
たしかに、子どもと一番関わる母親の言葉や態度、不登校後の母親の子どもへの接し方は、原因かどうかはさておき、子どもに大きな影響を及ぼしていることは一理あります。
とくに周りに頼れる人がいなかったり、責任感が強く、自分がなんとかしなければという強い信念を持っていると、1人で抱えこみがちになり、そうでない時に柔軟に考えや行動を切り替えることが難しく、その結果、親子共に悩み苦しむ時間がより長くかかってしまうこともあります。
なので、もしお子さんが悩んでいたり疲れていたり不登校になった場合、それまでの考えや行動を一旦とっぱらい、親子共に1度良い意味でリセットすると新しいアイデアや気持ちになれるかもしれません。(私自身の経験からお話しさせていただきました)
とにかく、お母さんも楽になってほしい。お子さんとともに学校という枠をとっぱらい、本来のお母さんやお子さんの生活を取り戻して楽な状態になることが大切です。
不登校は学校が原因について
不登校を終えた息子は今、新しい環境で、お互いの気持ちを考え合える仲間と安心して楽しく学生生活を送っています。
もし、当時息子の通っていた学校が、日常的な争いのない、先生の叱責のない学校だったら…と考えることがあります。
子どもの気質や環境と学校の環境のミスマッチも不登校の大きな要因であると実感しています。
パワーをなくした状態で、息子をからったり、いじってくる生徒がいる学校に行くにはとても勇気のいることで、実際不登校中にもその子たちと顔を合わせるのを怖がっていました。
当時、息子に転校を提案しましたが、仲良くしていた親友もいたので「どうして辛い経験をしている僕が学校を出て行かなければいけないの?悔しい。」「新しい場所で僕は本一人ぼっちになる」と悲痛な表情で伝えてくれたことがあり、転校を取りやめた経緯がありました。
今となっては、タイミングを見て少し強引にでも環境を変えていたら違っていたのかな?と思うこともあります。
もし今後、学校や社会において自分と自分を取り巻く環境の不一致が原因で適応できなくなりそうな時どうするか?
- 自分と合う環境で過ごす
- 自分の考え方を変える
この2つが今の答えです。
環境を変えることは決して簡単ではありません。
が、ストレスを感じる人や相手を変えることは本当に難しい。
ならば、自分の考えるパターンやクセを変えて適応するしかありません。
心が折れる前に環境を変えたり、自分をもっと楽にする考え方をできると良いかなと思います。
もし私が傍にいたら「よく頑張ってきたね。元気でいてくれたら嬉しい」と伝え、子どもの好きなように自由に学校や家庭生活を送らせてあげたいです。
不登校中は親もしんどい
息子が一番辛かったのはもちろんですが、あえて母親の立場で書かせていただきます。
- 学校との連絡(学校や担任の先生によっては毎日朝欠席の連絡が必要)
- 元気のない息子の様子を見ること(不登校直後から数年、元気だった頃の写真を見れませんでした)
- 今まで仲良くしていたママ友との関係
- 出口が見えないこと
- 正解がわからないこと
- 身内や夫との関係
実は、私も鬱状態でした。
親子共にメンタルが落ちていると、お互いが足を引っ張り合い、なかなか浮かび上がれないので長期にわたったのかもしれません。
にもかかわらず、周囲に対してはなるべく平常を振る舞っていました。
不登校を経験して初めて経験した苦しみや不安だったので、気軽に話して理解してもらうのは難しいと思ってしまったのかもしれません。もし話せたとしても、どうすればいいのか?正解もわからなかったので、アドバイスや意見を受け止められる余裕もありませんでしたし、否定されているようにすら感じるほどの精神状態でした。
ママ友からの言葉
特にママ友との関係はきつかったです。
距離の近い人からの言葉は当時の私にとって一番残酷でした。
「今度娘が学校の合唱発表会の指揮者になったのよ。子どもの成長を見れるから楽しみ。」
息子のいない学校の話を聞くのは苦痛でした。
とはいえ、私の前で学校の話をしないように気を使わせてしまうのも申し訳なく思ったのと、私の変なプライドのせいで、ママさんたちには平気な態度を装っていました。
「○○君(息子の事)大丈夫なの?この先は?」と本当に不安な顔をして尋ねられるのもきつかったです。
とくに辛かったのが親子共に1番仲良くしてきたママさんから「今まではサポート出来たたけど、うちの子も今年受験生。学校で授業に遅刻してくる○○君に付き添ってるとうちの子も遅刻したと思われて内申に響くからちょっと…もう息子も〇〇君に連絡できない…」
と言ったのち、年度始め親子共に連絡を絶たれてしまったことです。
皆それぞれ大変な中、我が子のサポートをしてくれていたので今も感謝しています。
ですが、最後の最後で突き放された気持ちになり、受験が終わっても連絡する気になれませんでした。
学校というレールから外れたら親も孤独なんだと気づきました。
不登校中の周囲との関係
不登校中は周りとの関係も重要です。
今まで仲良かったり、頻繁にやり取りしていた相手に対してどういう距離を取るか?
親子共にまずは自分が楽になる距離を選ぶことが大切。
学校とのやり取りについても、子どもが精神的に、肉体的に苦痛を感じている場合は、無理して先生に会ったり話をする機会を設けなくてもいいかもしれません。(わがままと捉えがちですが、本当に恐怖を感じたり苦しんでおり、枯渇したパワーを更に枯渇させることもあります。)
無理のない範囲で、親が子どもの様子を定期的に伝えたり、やりとりすればいいかと思います。
まずは安息を確保し、子どもの元気が戻ってきたのち、いざという時に声をかけられる環境をキープしておけば十分だと思います。
不登校は甘えではない必要な手段
不登校とは学校に行かないこと、行けないこと。
家にいるということは防衛手段です。
実際にいじめにあっていたり、学校に不安や恐怖を抱いている場合、まずは安全基地を家庭内に作り退避させること。
十分な時間をかけて心と体の回復を待ち、子どもが何かをし始めたいと思ったときは傍でサポートをし、やがて何かに立ち向かうその日を見守り続けられるか?
この流れがスムーズであればあるほど、早ければ早いほど子どもは傷を深めない分回復は早いのかもしれません。
そしてもう1つ。
子どもが不登校になるということは、子どもが学校に行かなくなるだけではありません。
今までの歴史や、自分の性格と向き合うこと、周囲との関係性や今後のことなど、置かれている状況や景色もガラッと変わります。
不登校になった瞬間、親も試されます。
目の前の我が子を無条件で受け止められるか?です。
その時にはじめて、自分の価値観や考え方、子どもへの接し方がどうだったか?考え始めます。
その過程で、子どもだけでなく親も目をそむけたくなる現実や過去と向き合い乗り越え続けなければなりません。
子どもが不登校になったとき=同時に親も変わるときです。
やがて子どもが不登校を乗り越えた時、不登校を経験して進化した親子になれると実感しています。
不登校行けるようになったきっかけ
我が家の場合、在籍していた学校への再登校ではなく、進学のタイミングで乗り越えました。
いくつか克服するきっかけをつかみ、必要なきっかけが出そろった時、息子は大きく一歩を踏み出しました。
- 体力気力が十分に戻った
- 安心して過ごせる環境が整っていた
- 仲間や味方が近くにいた
- 家で学習をしていた(基本的なことでOK)
- 親がまず元気になる、前向きに明るく振る舞った
- 親との関係性が良かった、良くなった
- 好きなことを楽しめるようになった
- 学校と連絡を取れる状態であった
- 元の学校に戻る以外の選択肢を知った
- その選択肢を自分で選んでいいとわかった
- どの選択肢が自分に合っているか十分に吟味、相談、体験した
学校に戻ることだけがすべてではない。あなたがいいと思う選択をしていいんだよ。
母親の私がこれを言えた時がとくに大きなきっかけだったと思います。
え、学校に戻らなくていいの?自分の行きたい高校でいいの?
という問いが即座に返ってきました。
みんなと同じ場所で、みんなが進むべき学校に自分も進まなくてはいけない、親もそう願っていると思っており、全日制の高校に通うことだけが選択肢だと思っていたようです。
他にも選択肢があることを話しました。
それは通信制高校でした。
通信制高校を卒業すれば高校卒業の資格を得られると同時に大学受験もできること。
実際、就職したり、専門学校や大学に進学している生徒も沢山いること。
この辺りの話をした後から息子の表情が明るくなったような気がします。
みんなとルートは違っても、みなと同じような希望を持っていいんだと気づいた瞬間でした。
その後、オンラインスクールを経て高校進学と同時に復帰しました。
子どものペース&スモールステップで進めたのが、行けるようになったきっかけでした。
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対人に不安のある不登校のお子さんからの支持が高いスクールです。
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不登校の親卒業
子どもは不登校を卒業しました。
残念ながら、私は未だ不登校の親を卒業できていません。
なぜなら、いまだに「べきだ」という考え方を捨てきれず、時々主張し過ぎることがあるからです。
まだまだ変われずにいます。
幸いにも、子どもは親からの「べきだ」論を気にしないぐらいたくましく成長してくれました。
周りにお友達や大人にも恵まれたお陰で、我が家は再び不登校のような経験をせずに済んでいます。
凝り固まった常識や価値観を変えるのは至難の業です。
それでも、人にマイナスな影響を与えるような価値観や常識の押し付けはしないように肝に銘じながら進んで行けたらと思っています。
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